松元ヒロ

松元ヒロ

まつもと・ひろ

本名、松元広人(まつもと・ひろと)。1952年鹿児島県鹿児島市生まれ。駅伝の名門、鹿児島実業高等学校に入学し、全国高校駅伝最終区で区間賞を受賞。法政大学に入学し一時は教職の道を目指すが、チャールズ・チャップリンの映画やヨネヤマママコのパントマイム「新宿ラッシュアワーのタンゴ」に感銘を受け、パントマイマーを志す。23歳、「日本マイム研究所」佐々木博康のもとへ。そこでのちの妻・俊子さんと出会う。26歳、結婚を機に「日本マイム研究所」を辞め、「汎マイム工房」あらい汎に師事。本格的に芸人の道へ進む。28歳、一人息子が誕生。

82年(30歳)、「ドゥ企画」発足。翌年コミックバンド「笑パーティー」を結成。テレビ出演のオーディションに参加するため、パントマイムを活かしたコントのネタ作りを続ける。85年(33歳)、「お笑いスター誕生」で優勝。87年(35歳)、「NHK新人演芸コンクール」演芸部門優秀賞。89年(37歳)、お笑い番組に出演していた3グループで「ザ・ニュースペーパー」を立ち上げる。鹿児島実業の同級生でザ・ドリフターズの付き人だったすわ親治も誘い、「ザ・ニュースペーパー」はテレビや公演で人気を博す。同年「笑パーティー」解散。98年(46歳)、グループで活動し続けることに疑問を持ち、独立。翌年にソロデビュー。

2003年(51歳)、TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」に出演。永六輔とは家族ぐるみの付き合いに。05年(53歳)、立川一門が開催する高座に出演した時、立川談志の目に触れる。その後松元のライブを観に来た談志が終演後に「今まで私は松元ヒロという芸人を見損なってきました。見損なうとは見逃してきた、という意味です。改めてヒロに謝罪したい」と壇上で土下座。「最近はサラリーマン芸人ばかり。本当に言いたいことをいわない。松元ヒロは本当の芸人」と語った。NHK-BS2「立川談志 日本の笑芸百選」に選ばれる。以降、談志が亡くなるその日まで交流は続く。11年の談志のお別れの会では、談志が好きだった『きょうのニュースと天気予報』を披露。07年、TBSラジオ「永六輔その新世界」の「土曜ワイド芸能大賞」を受賞。16年の永六輔逝去の際には、最後のラジオ番組に出演し、「ヒロくん、9条を頼む」との言葉を託される。日本国憲法施行から50年目にあたる1997年から演じている『憲法くん』は日本国憲法を人間に見立てた8分ほどのネタで、井上ひさしをはじめ多くのファンを持つ。2016年には絵本「憲法くん」(講談社/作:松元ヒロ、絵・武田美穂)を刊行。ドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』(19・井上淳一監督)では、松元が演じる「憲法くん」を原作にしたキャラクターを女優の渡辺美佐子が演じた。『憲法くん』は燐光群の坂手洋二により舞台化され、2019年11月から12月にかけて東京・伊丹・岡山・名古屋で上演された。

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